時折いただく質問に、「かけ算やわり算の意味をわかっていないのに計算をやる意味があるのか」というものがあります。
結論から言うと、大いにあります。
もちろん、「わかる」と「できる」が両方そろえば理想的ですし、指導する側もそれを目指しています。
ただ、「わかる」は本当に難しいのです。
「わかる」が先か「できる」が先か。
「わかる」が先か、「できる」が先か。
ものごとを習得する順番は、いったいどっちの方が多いのでしょうか?
疑問に思ったことはあるでしょうか?
自分の場合にどうだったか、ちょっと考えてみてください。
初めて自転車に乗れるようになった時、初めてクロールで泳げるようになった時・・・
自転車に乗れない人が偉そうに自転車の乗り方を分かった風に説明してる姿を想像してみてください。
泳いだことのない人が水泳の教本や動画を見て泳ぎ方をさもわかったように語っていたらどうでしょうか?
おかしいですよね?
「できた!」と「ちょっとわかったかも」の往復
天才は別として、一般の人の場合にはきっと、「できた!」と「ちょっとわかったかも・・・」を行ったり来たりしているうちに徐々に「会得していく」ことが多いのではないでしょうか?
ただ、印象としては、日本の教育では「できる」を重視しすぎ、逆にドイツの教育は「理解」させればあとは自分で、と言う感じで「わかる」重視、「できる」のための練習を軽視しすぎな気がします。
そもそも、頭だけで理解するってあり得るのでしょうか?
「できた」という経験を繰り返していった先に初めて本当に理解することがある。ただし、理解までは行きつかないことも多々ある、それまでは、「わかったつもり」でしかないといってもまちがいではないように思います。
日常使う電気のしくみ、コンピューターのしくみ、その他ありとあらゆることどれをとっても、理解している人はごくごくわずかではないでしょうか。
「わからないから使わない」と言っていたらどうなるでしょうか?
「わからなくてもとりあえずやってみる」
ちょっと極端な例になってしまいますが、「わかる」にこだわりすぎて「わからないけどやってみる」という姿勢を持てない子がときどきいます。
「わからないことはやらない」「わかるまではやらない」という傾向が強すぎると自分の可能性を塞いでしまう可能性があります。
誤解のないように断っておきますね。「わかる」にこだわるのはとてもよいことです。ただ、こだわりすぎて前に進めないままというのがあまりにも強い場合、「わからなくてもとりあえずその通りにやってみる」ということもできるようになると素晴らしいということです。
「わかる」はあまりにも難しい
また、そもそも、「わかる」というのは奥が深すぎるのです。
わり算とは何か?本当にわかっている大人も少ないのでは?と思います。
なぜわり算するのに答えが大きくなることがあるのか?
なぜ分数でわるときは分母と分子をひっくり返してかけ算するのか?
本当にわかっている大人がどれほどいるのでしょうか?
小学校の算数で既にそれほど奥の深い本当には理解することが難しい内容をやっているのです。
本当にわかるためには、自分から「なぜ?」という疑問を持って考えることが必要、でもそんな風に無駄に考えることが好きな人はほんのごく少数の人に限られているのではないかなと思います。
とある日本の小学校で、18÷0の答えを書かせる問題が出されたそうです。
そして、出題した先生が、正解は0だと言ったとのこと。これは、明らかな誤り、数学を知る者には根本的、致命的と言ってもいい誤りなのですが、なぜなのかを説明できる人は少ないでしょうし、考えたことがない人がほとんどではないかと思います。
「わかる」と「できる」について、ぜひ考えてもらえれば嬉しいです!
投稿者プロフィール
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Bingo! Soroban School 責任者
そろばん教室でこどもたちと接するのが楽しくてたまりません。
自信を持って新しいことにどんどんチャレンジする子が一人でも多くなってほしいと願っています。
中学受験専門塾、中学高校受験塾の講師として15年あまりこどもたちに接したのち、紆余曲折を経て2013年ASOBO!、2016年そろばん教室を立ち上げる。2019年いしど式に加盟、全国珠算連盟認定教師。
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